第8号(P.6)シリーズ中東の話 ①

3月30日はパレスチナ「土地の日」

日本アラブ未来協会 田中博一


※土地の日……1976年3月30日に始まったイスラエルによる国際人道法違反の休戦ラインを越えての広大なパレスチナの土地収用・占領に対する抗議行動の日

 《ユダヤ問題》…なぜユダヤ教徒だけユダヤ人と呼ばれるのか。

 ほとんどの教科書、歴史、文化史を論じる書物を始め、メディアにおいても意識せずにユダヤ人、ユダヤ民族という言葉が使われている。しかしながら現実にはユダヤ人という人種、血統の民族は存在しない。それは近代ヨーロッパにおける民族国家建設運動時に植民地主義・帝国主義の先兵たらんとしたシオニズム運動が作り出した概念である。

 パレスチナは初期にはカナン人、フェニキア人、ヘブライ人の国であり、近代ではオスマントルコ帝国に支配されるシャームと呼ばれるシリア地方の南部の一部であった。

 旧約聖書によれば、古代エジプトで奴隷であった一部のヘブライ人を率いたモーゼがパレスチナに入りユダヤ教が始まった。それまでバール神などの神を信じていた住民はヘブライ人の支配下に入り、ユダヤ教を信じるようになる。その後、古代ローマの支配を受けるようになるが、戒律さえ守れば良いとするユダヤ教の司祭、ローマの支配階級と結託した富裕層の腐敗堕落を糾弾して立ち上がったのがイエス・キリストで、彼の福音を信じたのが、当時の社会にあって人間扱いされなかった下層の人々であった。

 キリスト教はユダヤ教改革の中から生まれたのであり、パレスチナのユダヤ教徒にとってキリストの教えの受け入れは容易であった。

 やがてローマ帝国の国教となったキリスト教も民衆救済の宗教から支配階級の道具になり、このローマ帝国の支配に苦しんだパレスチナ人は7世紀にアラビア半島で始まったユダヤ教徒、キリスト教徒を同じ啓典の民とするイスラームを受け入れる。イスラームの支配者は基本的にユダヤ教、キリスト教の弾圧は行わずにオスマン帝国に至るまで統治してきた。現在も旧エルサレム市街がイスラム教徒地区、キリスト教徒地区、ユダヤ教徒地区と住み分けされているのが、このことを示している。

古代の大半のユダヤ教徒はキリスト教、イスラームに宗旨変えし、吸収されたのであり、人種的・血統的な主な流れはパレスチナ人にあると思われる。

 筆者が1998年、ガザ滞在中に会ったイスラム教徒の老人は「かつて、ユダヤ教徒の友人と互いの祭日には行き来した。パレスチナは聖地であり、誰でも来て住むことができる」と述べていた。パレスチナではユダヤ教徒もキリスト教徒やイスラム教徒と同じパレスチナ人であり、アラブ人である。

 ちなみにアラビア語においてユダヤ人に当たる言葉はなく、ユダヤ教およびユダヤ教徒という言葉があるのみである。

※イスラームはイスラム教とほぼ同義であるが、イスラームという言葉に教えという意味が含まれるので、ここではイスラームとした