第12号(P.10)シリーズ中東の話⑤

イスラエルで反核闘争にたった一人で立ち上がったヴァヌヌ氏の闘い

日本アラブ未来協会 田中博一

 18年の刑期を終えて2004年4月21日に出獄するヴァヌヌ氏。1986年、英国サンデータイムズ紙にイスラエルの危険な核開発を暴露した。イスラエルは(200発以上の)核兵器を所有していることを否定も肯定もしていない。

 本名はMordechai Vanunu。モロッコはマラケシュ出身。1963年、9歳の時にユダヤ教徒の両親、10人の兄弟と共にイスラエルへ移住。兵役を終えて、イスラエル南部にあるデモナ原子力関連施設に勤務。やがてイスラエルの危険な核兵器開発に気づく。

 1985年イスラエルの核兵器開発を全世界に警告するため、内部を多数撮影する。退職後、その写真を携え、アジアなどを旅行。

 1986年10月5日、英国サンデータイムズ紙がヴァヌヌ氏の告発を受けて「小国イスラエルが多数の核兵器を所有する核大国である」ことを紙上で暴露する。

 イスラエルの秘密警察・モサドはイタリアのローマ空港にて薬物などを用い非合法にヴァヌヌ氏を拉致し、秘密裏に海路でイスラエルに連行する。

 軍事裁判にて18年の実刑を受ける。はじめの11年半は独居房、1998年3月12日に雑居房へ移る。それでもパレスチナ人囚人との接触や、電話、通信なども厳しく制限され、アムネスティ・インターナショナルが「残酷で人権無視の処遇」とイスラエル政府を非難。

 2004年4月21日に釈放される。しかし、1)登録したイスラエルの市以外住むことができない。2)住んでいる市から出るときは当局の許可が必要。3)外国人との接触は電話を含め禁止される、など2018年の現在も厳しい制限下に置かれている。

 そのため2004年11月11日に再逮捕、2005年3月には国家保安のために告訴され、現在は公判準備期間として釈放中ではあるものの、言論および移動制限は従前通り厳しく科せられている。

 ”ヒロシマで会おう”は彼の闘いの合い言葉である。

 彼のtwitter は、 

 https://twitter.com/vanunumordechai