『月報』第3号文字版(1~5ページ)

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韓国から大代表団きたる!!

 朝鮮半島周辺に米軍が集結し、米日韓の軍事演習が続いている。「国難突破」を掲げた戦争翼賛選挙に続く米帝トランプの訪日―日米首脳会談は、朝鮮侵略戦争の開戦を決める戦争会談だ。

 これを打ち砕く11・5労働者集会―改憲阻止1万人大行進に、韓国から民主労総ソウル本部をはじめ約30名もの大訪日団が参加する。アメリカ、ドイツ、フィリピンからの参加も決定している。「朝鮮戦争絶対反対」「この国に革命を」と訴え、斎藤いくま全学連委員長を押し立てて衆院選を闘った力で、11・5東京―11・12ソウル国際連帯行動を成功させよう。

<11月国際共同行動 スケジュール>

◎日本

 11・4労働者国際連帯集会

  11月4日(土)午後1時開会

  千葉商工会議所第1ホール(千葉中央ツインビル2号館14階)

  主催:11・5全国労働者総決起集会実行委員会

   ※韓国、アメリカ、ドイツ、フィリピンから闘う労働組合の代表が参加。

  闘う労働運動をよみがえらせよう! 国鉄闘争勝利! 戦争と民営化・労働法制解体に反対する1万人大行動

  11・5全国労働者総決起集会×改憲阻止1万人大行進

   11月5日(日)正午開会/午後2時~改憲阻止! 各団体アピール/午後3時~銀座デモ

   東京・日比谷野外音楽堂

   主催:全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部/全国金属機械労働組合港合同

      国鉄千葉動力車労働組合/国鉄分割・民営化に反対し、1047名解雇撤回闘争を支援する全国運動

◎韓国

 11月11日(土)全国労働者大会前夜祭 @ソウル

 11月12日(日)全国労働者大会 @ソウル

 11月13日(月)韓日労働者理念交流会 @ソウル


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全世界の仲間と戦争反対叫ぼう

アメリカ 戦争反対を貫き団結を守る港湾労組(ILWU)

 今年の11月集会には、ILWUローカル21(国際港湾倉庫労組第21支部、ワシントン州ロングビュー)とローカル52(同州シアトル)からそれぞれ1人が参加します。

 ローカル21は2011年、米日韓の合弁資本EGTによる労組破壊攻撃と闘い、団結を守り抜きました。この闘いは、一地方の闘いにとどまらず、全米の焦点になりました。オキュパイ運動など全米の闘う労働者が、支援の闘いを行い、動労千葉もEGTの一角である伊藤忠への抗議闘争を行いました。

 当時のオバマ政権は、大統領の指揮下にある沿岸警備隊まで現地に動員しました。ILWUは、戦争反対・国際連帯を全米でもっとも貫いてきた労働組合なので、支配階級は、ILWU破壊のために全力をあげたのです。

 トランプ政権は朝鮮侵略戦争に突進していますが、今の朝鮮半島情勢の歴史的根源である50年朝鮮戦争に対して、ILWUはスト・軍需物資輸送阻止で闘っています。さらに60年代ベトナム反戦を貫き、イラク戦争には全米で唯一、反戦ストをしています。08年メーデー米西海岸全港湾の閉鎖です。これに例外なく全員が参加しました。

ドイツ 「ストライキ共和国」の先頭に立ったドイツ機関士労組

 ドイツからは今年、ドイツ機関士労組(GDL)ベルリン都市鉄道支部長のクルト・シュナイダーさんを団長とする6人の仲間たちが訪日・訪韓します。

 ドイツ機関士労組ベルリン都市鉄道支部は、組合員1000人でケルン支部に次いで2番目に大きく、同支部はドイツ機関士労組の中で最左派。労組中央の政府・資本との協調路線と鋭く対決しています。

 クルトさんとの最初の出会いは、2011年8月。動労千葉の訪独団がベルリンを訪れたときでした。ドイツ機関士労組は07~08年にかけて波状的なストライキに立ち上がり、当時「ストライキ共和国」といわれたドイツの闘いを牽引しました。クルトさんは当時ストの現場指導者でしたが、その後GDL中央は大きく政府・資本との協調路線に踏み出し、そのため彼は失意の中で闘いの方向性を求めていました。そのとき、私たちとの歴史的な出会いがあったのです。

 そして彼は13年11月に初めて訪日・訪韓。このとき、動労千葉労働運動と民主労総にじかに接し、人生観がひっくり返るような巨大な衝撃・感動を受けたそうです。「労組権力を取れば労働者は偉大な闘いができる」と体感したのです。これについて、クルトさんは私たちにあてた手紙で次のように書いています。

 「重要だと思ったのは、動労千葉と民主労総の労働者が、鉄道の民営化がもたらす結果について非常に鋭い意識をもち、これと戦闘的に闘ってきたということでした。日本の国鉄の民営化の経験をもとに、韓国では迫り来る鉄道民営化攻撃を萌芽的段階でつぶそうとしています」「民主労総の組合員が、自分たちが生きていくためのぎりぎりの利益を守るために、どれほど強い意志と決意をもって闘争力を発揮しているか――それには本当に圧倒されます」

 クルトさんは15年4月にベルリン都市鉄道支部の権力を奪取し、支部執行部を一新。組合員との日常的な交流を深めつつ、資本・体制内指導部と決定的に闘える「階級の指導部」を支部内に分厚く形成すべく日々努力しています。今回の訪日・訪韓もその一環です。

フィリピン 外注化・首切りと闘うフィリピン航空地上職労組(PALEA)

 2009年7月にサンフランシスコで行われた国際労働者会議の場で動労千葉はフィリピン航空地上職労組(PALEA)の委員長でフィリピン労働党副議長のゲリー・リベラさんと出会いました。短い期間の交流でしたが彼は動労千葉の闘いに共感し、発言でも「われわれは動労千葉のように断固として闘いを続ける」と訴えてくれました。今年の11月集会には、そのリベラさんが初めて参加します。

 11年10月、フィリピン航空は、搭乗手続きなどの地上業務をすべて外注化するという大攻撃を開始しました。2600人の地上職員の全員を一旦レイオフして6カ月契約の非正規職に叩き落とすというとんでもない攻撃でした。

 これに対してPALEAはシットイン(座り込み)ストライキに立ち上がり、飛行機の運行に重大な影響を与えました。資本・政府による警官隊を導入した強制排除やロックアウト(職場からの締め出し)にも屈することなく、連日1千人以上のピケットラインを守って闘いぬきました。

 動労千葉は直ちに連帯メッセージを送り、労組交流センターとともにフィリピン大使館とフィリピン航空東京支社に対する要請・抗議行動に立ちました。

 13年には600人の組合員が正規職として職場復帰することで合意し、闘いは集約されました。しかし職場復帰が実現しないまま、新たな解雇攻撃も狙われています。

 15年の反APEC闘争、民主労総ゼネスト闘争への支援・連帯行動など、PALEAは国際連帯の闘いを多岐にわたって展開しています。

闘う在日・滞日外国人労働者も日比谷に大結集

 日本にも難民がいるのをご存知ですか?  戦火を逃れ、あるいはさまざまな迫害を受け、日本にたどり着いた人々です。しかし、日本政府は難民を受け入れようとしません。今年1─6月期に日本で難民認定を申請した外国人は過去最多の8561人になりましたが、難民認定者はたった3人! 移民排斥で怒りの的になっているトランプ以上です。

 退去強制処分となり入管に収容され、難民申請も認められず、それでも帰国できない仮放免者たちも数千人に上ります。この仮放免者たちに法務省は労働を禁止していますが、彼らは生きるために労働組合を結成し、各地のユニオンに加入して闘っています。

 今年もクルドやビルマをはじめ、アジア、アフリカ、中南米など世界各地出身の在日・滞日外国人が参加します。「朝鮮戦争に反対する在日朝鮮人の会」も先頭に立ちます。


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手記  国境を越えた連帯の感動

旭硝子非正規職支会 ミンドンギ

旭硝子労組の闘い

 ガラス業界世界トップの日本企業・旭硝子は2005年、50年間の土地無償貸与と8年間の関税・法人税・地方税全額免除という恩恵を得て韓国に進出。韓国法人・旭硝子ファインテクノコリアは労働者に最低賃金で週70時間もの強労働を強いて莫大な利益を上げてきた。これに対して15年に社内下請け業者GTSで働く170人中138人が労働組合を結成すると、旭硝子は直ちに請負契約を解除し、メール1本で労働者170人全員を解雇。下請け労組はこれと対決して闘いを続けている。

 今年5月に発刊された旭硝子非正規職支会の闘いの記録から、ミンドンギさんの手記を一部抜粋して紹介します。

日本遠征闘争に立つ

 2015年6月のある日、私たちは頭に赤いはちまきをして「団結闘争」と文字が入ったベストを着て働いていた。朝礼・終礼の時間になると「トゥジェン(闘争)!」という断固とした声と「労働組合をつくって人間らしく生きよう」というスローガンが現場内を包んでこだまする。信じられないだろうが、クミ(亀尾=地名)で最初に非正規職労働組合を設立したわが同志たちの声だ。

 数年にわたって犬のように働いても、返ってくるのは最低賃金と我慢ならない労働弾圧、人権侵害だった。こういうわけで、私たちは民主労組の旗を立てることになったのだ。しかし、うれしさもつかの間、非正規職の悲しみと苦痛が感じられる日々が来た。元請け(旭硝子)の抑圧と下請けの同調でつくり上げられた廃業と、メールで伝達された解雇通告。私たちは出勤阻止を受けて絶望し、怒るしかなかった。しかし、こんなやり方でつぶされたくなくて、できる闘いを続けていくことにした。

 その年の7月、旭硝子本社がある日本に遠征闘争に行く計画を立て、私も参加することにした。幸い、日本の動労千葉(国鉄千葉動力車労働組合)が連帯してくれることになり、私たちは小さな期待を胸に抱いて日本行きの飛行機に乗った。

旭本社抗議訪問

 成田空港に到着するとハングルで書かれた「旭硝子の同志たちを歓迎します」というボードが見え、その後で(動労千葉国際連帯委員会の)漆崎さんが喜んで迎えてくれた。

 私たちは委員長(田中康宏さん)と数人の労働者たちと懇談会を持ち、韓国の外国投資企業(旭硝子資本)で労働者が直面している悲しみと労働弾圧など、私たちが直面していることについて熱弁をふるった。

 こうして、連帯の力を頼みに4泊5日の日程を開始した。何よりも本社への抗議訪問が急務なので、本社のある東京に向かった。日本の同志たちの案内で、首が折れるほど仰ぎ見ても頂上が見えない建物の前に到着した。旭硝子本社に到着したのだ。たいそうな図体の建物を見て震えもし、「抗議する機会ができるだろうか?」という考えが脳裏をかすめた。しかし調べてみると、数十階のうち4階分だけが旭硝子本社だった。

 何回かの連絡の末に、本社の幹部と1階のロビーで会うことができた。1時間以上も韓国の状況を話して抗議をしたが、返ってきた答えは、「分かった」「知らないことだった」「韓国の会社については関与していない」だけだった。怒りがわき、どなりつけたかったが、そうすることもできずに帰らなければならなかった。

 日本の同志たちは、私たちが韓国に帰っても続けて抗議訪問と闘争をすると約束してくれた。その言葉を慰めにして、本社前で小さな集会を行って市民たちにビラを配布した。

(中略)

 次の日は、日本最大の京浜工業地域にある旭硝子の工場前で出勤する労働者への宣伝戦とビラまきをするために、早朝から出かけた。韓国の工業団地の様子を思い描いて行ったのだが、意外な風景に驚いた。田舎町のようなところに工場が入っていて、旭硝子の工場は鉄道の線路の踏切脇にくっついていた。

 私たちは気分よく出勤宣伝戦とビラまきを始めた。昨日とは異なり、にこやかな表情で生気にあふれる労働者たちに会って、互いに気分よくビラをやりとりした。何が起こったのかと聞いてくる労働者もいたし、短時間のうちに持っていったビラがなくなった。同じ労働者、同じ人間なのに暮らす環境が違うからそうなのか、ここの労働者には出勤するのがいやで険しい顔をしたり、めんどうくさいという表情をしたりしている人はいなかった。そんな様子がうらやましくもあったが、一方では資本家たちが労働者の環境を改善しているのだろうかと疑いの念を持ちもした。

日本の同志たちとの連帯

 日本の同志たちの連帯の力は、想像していた以上だった。考えもしなかった記者会見の要請で日本の主要マスコミに記事が載り、私たちの話が少しは知られる契機になった。また、国会前の集会でも日本の同志の助けで発言することができ、韓国の労働者たちが外国投資企業から受けている扱いを知らせることができた。彼らとの連帯がなければできなかったことだ。

 日本遠征闘争の間、1日に10時間ほどを毎日歩いて移動しなければならなかった。暑い中で長い距離を歩き、だんだん疲れていった。一歩一歩歩くたびに伝わる足と腰の苦痛は言い尽くすことができない。一瞬、涙も少し出てきた。他国に来て、なぜこんなに苦労をしなければならないのか、俺は何のためにここに来ているのか、さまざまな考えが脳裏をかすめ、途中でやめたいとも思い、韓国の同志たちがいるところに帰りたかった。

 しかし、ふと横をみると日本の同志たちがつらい様子もなく横で一緒に歩いてくれているのだ。

 「この人たちは何のために、自分のことでもないのに、こんなに私たちのために一生懸命なのか?」――少し前までしていた私の考えが恥ずかしく感じられた。日差しが強くて顔が赤くなっているのに、恥ずかしさでさらに赤くなる気分になった。脇で支えになってくれる日本の同志たちと私たちからの報告を待っているだろう韓国の同志たちを考えて、また力をふりしぼって歩いた。少しの間の安逸な考えを反省し、日本の同志たちとともに残る日程の闘争を続けていった。

 このように大切な成果をあげて1日1日が過ぎ、最後の夜が訪れた。日本の同志たちとの最後の夜だという名残惜しさから早く寝ることはできなかった。4泊5日の最後の日の朝、私たちは動労千葉の同志たちとあいさつをし、連帯の絆を手放さないと約束した。その瞬間、日本の同志たちがもう一つの感動を与えてくれた。4泊5日の間集めてくれたカンパで私たちの滞在費を解決してくれたのだが、残ったカンパまで私たちの闘争基金として渡してくれたのだ。また涙が出た。感動が押し寄せてきた。

国境を越える連帯と闘争に

 日本遠征闘争の4泊5日は短い時間だったが、私たちにとっては言い尽くせないほど大きな力と勇気になってくれた。若い同志たちより年をとった同志たちの方が多い日本の労働組合活動を見て、うらやましくもあり力にもなった。重要なことは年ではない。何かをしようとする固い意志と、闘いをともにする同志愛であり、それが私たちの闘いの意志を駆り立てるようだ。

 4泊5日の間つらい様子も見せずに私たちのために動いてくれた日本の同志たちを見て、私たちもまた連帯を必要とするところにはいつでも駆けつけようと心に決めた。本当に、連帯とは何なのか、なぜ必要なのか、誰のためのものなのか、今回をきっかけに多くを知った。

 もちろんクミでも、最初から今日まで私たちとともに行動し、連帯が何なのかを私たちに悟らせてくれた同志たちがいる。金属労組KEC支会のキムソンフン支会長と組合員たちだ。「KECの同志たちがいなかったら今の旭非正規職支会の民主労組の旗はなかっただろう」という言葉に、わが同志たちも同感するだろう。

 KEC支会と動労千葉のような清い同志たちがそばにいてくれて、私たち旭もまた清い未来を見て闘うことができるのではないかと思う。

 いばらの野を超えて青い草原をたった1人で早く進もうとすれば、行くことも戻ることもできない孤独な闘いになるだろうし、同志たちと一緒にやるならば、少し遅くなっても一歩一歩いばらのつるを整理しながら、ともに草原に到着することができるだろう。青い草原に到着して振り返って見たならば、きれいなその道の上に多くの同志たちがついてきて、ともに喜びを謳歌することができるのではないか。

 私たちの闘争がいつ終わるか、いつが勝利の日になるのかは分からないが、今が大変であっても、一人だという考えを引っ込めて同志たちと連帯すればいいのだ。だから、ともに勝利し、全国で闘っているすべての労働者たちがともに笑える日が来ることを望んでいる。

国際連帯共同行動研究所

新たな労働者の「インターナショナル」の建設を目指す研究所です。