国際連帯共同行動研究所

記事一覧(36)

第6号(P.7)イギリス 鉄道労働者が年頭からストライキ

イギリス 鉄道労働者が年頭からストライキ イギリスで、年頭から鉄道労働者のストライキが爆発している。1月8、10、12日の3日にわたって、RMT(鉄道・海運・運輸労組)が、メイ政権の後押しでかけられている「1人乗務拡大・車掌廃止・人員削減」の攻撃に対して、5鉄道会社の労働者の統一行動としてストライキに突入した。ロンドンをはじめ、リバプール・マンチェスター・ニューキャッスルなど全国主要都市間の交通は遮断された。 各鉄道会社は、すでに1人乗務に屈服しているASLEF(運輸職員労組)を動員するなどしてスト破りを策動したが、ASLEFの組合員も組合指令を蹴って、各所でRMT組合員のピケットラインを越えて就労することを拒否した。 主要各都市の駅頭に張られたピケットラインに対して乗客から「がんばれ!」「スト破りに負けるなよ!」という声がかけられ、各所で一人乗務反対についての討論が巻き起こった。世論調査によれば回答者の75%が1人乗務に反対し、ストライキへの支持を表明したという。 1人乗務導入の攻撃は、1990年代から、民営化されたイギリス鉄道の諸会社の共通の政策として、政府・運輸省の指導の下に強行されてきた。利潤第一・経費削減、人員削減と公共交通の安全破壊が強行されてきたのだ。 駅の無人化や切符販売などの窓口閉鎖と並ぶ重要な柱が、1人乗務の導入だった。「列車のドアの開閉と列車の駅からの出発の確認を、車掌の業務から運転士の業務に転換し、車掌を解雇する」という転換である。運転士は、1人乗務を受け入れる契約書を書かされ、すさまじい労働強化を強いられる。車掌は「会社が必要性を認めた場合にのみ」、安全確保業務と関係のない「車内点検乗務員」という業務への「降格」(賃下げをともなう)を認める場合にのみ職にとどまることを容認される、これを拒否したときには「希望退職」という形で解雇される。 RMTはもちろんASLEFもいったんは反対し、ストを構えた闘争を行ってきたが、現在、ロンドン地下鉄をはじめイギリス鉄道のかなりの部分で、1人乗務あるいはそれに近い形の列車運行が支配的になっている。鉄道各社は、1人乗務を想定して製造された列車をボンバルディア社(カナダ)や日立製作所などから購入し、今後も1人乗務を拡大する方針である。 その結果、この数年で高齢者・障害者、あるいはベビーカーがドアに挟まったまま列車が出発したり、線路に転落したりする事故が多発している。ひとたび事故が起これば乗務員が責任を訴追され、有罪判決を下される。これに対する労働者・乗客の不満と怒りが、いま爆発しているのだ。 1993年に行われたイギリス国鉄の民営化は、日本のように路線と業務を地域的に分割して民営化する方式ではなく、「上下分離方式」で、①列車の運行業務、②線路などインフラ管理業務を分離し、それぞれ別個の民間会社に委託するという形をとった。その結果、現在、列車の運行を担う会社(②)は全国で25社におよんでいる【そこには外国の鉄道会社も参入し、日本からJR東日本が三井物産とともに、昨年8月、恥知らずにも「品質の高い鉄道運行実現」「輸送安定性の強化」などをかかげ、中部イングランド旅客鉄道会社の運営権を認可されたと発表している】。 1993年に発足したイギリス鉄道(British Rail)は、分社化・業務の細分化のもとで早速、列車の遅れ、線路の破断、列車の転覆・衝突などの事故を次々に発生させた。業務の外注化・下請け化・分社化によって、保線作業をはじめとする安全対策における責任体制が初めから崩壊していたのだ。当初インフラ業務を担当したレールトラック社は2002年に破産している。

第6号(P.6)川崎 地域の思いと結びついた12.16反戦集会&デモ

川崎 地域の思いと結びついた12. 16反戦集会&デモ神奈川労組交流センター 上田 豊 12・16川崎反戦集会&デモは予想以上の反応でした。改憲・戦争への動きが強まり、特に在特会が桜本地域にヘイトデモを行う動きもあり、労働者市民のなかに危機感と大きな関心があったと思います。 集会終了後、「朝鮮戦争絶対止めよう」「ハルモニ・オモニの決起とつながろう」のコールでデモ行進に出発しました。集会会場の反対側にある体育館にいた中学生が鈴なりになって手を振り一緒にコールしてくれました。 桜本地域まではあまり人通りがないところなのですが、マンションのベランダからも手を振って応えてくれました。 桜本地域に入るとさらに大きな声援が寄せられました。商店街付近でバスを待つ女性が「ありがとう」とデモに声をかけてくれたり、横断歩道を渡っていた女性が「がんばって、がんばって」とエールを送ってくれました。 さらに自転車に乗った年配の女性が「戦争絶対ハンタイ!」と大きな声で出しながら、デモ隊を猛スピードで追いかけてきました。後で聞くと在日の方でした。解散地点の四つ角近くまで一緒にデモして、最後はデモ隊に手を振ってくれました。 関東最大の在日朝鮮人の集住地域である川崎市南部の桜本地域。70年代の朴鐘碩(パクチョンソク)さんの日立就職差別裁判の闘いの中から自らの生きる権利を求めて立ち上がった地域。この地域で、今この時代に集会とデモを行ったことに多くの参加者が「こういう闘いがやりたかった」と深く感動しています。 次の課題もはっきりしてきました。地域における組織と運動をつくること、そのために継続した取り組みを強めていきたいと考えています。

第6号(P.5)韓国 民主労総が2018年決戦に突入

イヨンジュ前事務総長の闘い勤労基準法改悪阻止へハンスト籠城――身体を張った闘いに共感 昨年12月17日から27日、ハンサンギュン委員長と同じく2015年の民衆総決起闘争を口実に指名手配されてきた民主労総のイヨンジュ事務総長(写真中央)が、「勤労基準法改悪阻止・拘束労働者釈放・政治指名手配の解除」を訴えてソウル・ヨイドの「共に民主党」党舎内で水と塩のみのハンスト籠城を闘った。 絶対に引けないと体を張って立ち上がったイヨンジュ事務総長のもとには、とりわけ青年・学生たちから熱い支持と連帯が寄せられた。ハンストは健康状態悪化のために終了したが、彼女は「民主労総はろうそくの呼び水であり、ろうそく(がめざした社会)の完成までが民主労総の歴史的責務です」「後退のない積弊清算とすべての労働者の労組活動をする権利が保障される社会のために、再び民主労総が進み出るときです。同志たち、まだ闘いが必要な時期です」「いつでもどこでも民主労総の旗がひるがえる労働者の街でまた会いましょう。トゥジェン!」と、熱烈なアピールを発して堂々と新たな闘いに入った。 担架に横たわる彼女に対して令状を執行するという恥知らずな逮捕を行った権力、そしてムンジェイン政権への怒りはいっそう高まっている。こうした命がけの闘いに押され、年内の勤労基準法改悪強行は破産した。ハンサンギュン前委員長・獄中書簡 労働者の団結で労働が尊重される社会を 2015年の「民衆総決起」を主導したことで不当にも逮捕され、獄中闘争を闘いぬいてきた民主労総のハンサンギュン委員長が昨年末で任期を終えました。サンヨン自動車支部の仲間にあてた手紙を一部抜粋して紹介します。 労働者を敵として露骨な弾圧を行ったパククネ政権との闘いの先頭に立ったことは民主労総委員長の当然の責務です。パククネは恐怖を拡大し、労働者民衆の怒りを眠り込ませようとしましたが、われわれは膝を屈することなく闘いました。 結局、労働者民衆を踏みにじったパククネは弾劾・拘束されました。こんなに早く来るとは思いませんでしたが、労働者民衆の怒りは爆発しました。 広場の感動を感じることはできなくても、塀の外の世界が驚異のように感じられた時間でした。この瞬間から、労働者を閉じ込める監獄はもはや監獄ではないと思いました。物理的に塀の中にいるか、同志たちとともにいるかの違いがあるだけです。 ムンジェイン政権を責める必要もありません。ろうそく政府と自任していますが、政権の実体は労働者の期待とは異なることを悟れば、そこからまた進展するでしょう。怒って批判するのはたやすくとも、労働者の側が実力を伸ばすのは容易なことではありません。 われわれに、意気地がない犬のようにワンワン吠えている時間はありません。労働を尊重する世の中は、労働者の団結した力でつくりあげない限り蜃気楼に過ぎないということを忘れてはならないのです。 最も苦しみながら生きかつ闘っている労働者、非正規職労働者、低賃金の未組織労働者が単なる少数でなくなる、よりよい社会をつくるために、多数の人びとが自覚する新年になることを望みます。 この道に残りの人生を捧げることを真っ白い壁を証人として誓い、新年の最初の日を迎えます。 愛しています。トゥジェン! 2018 1.1 ファソン(華城教導所)にて ハンサンギュン書

第6号(P.3~4)アメリカ サンフランシスコでの勝利

アメリカ安倍、大阪市長・吉村の妨害を一蹴サンフランシスコでの勝利!サンフランシスコのエド・リー市長、「慰安婦」記念碑を市有財産にする市議会決議に署名「慰安婦」正義連盟(CWJC)の報道発表(2017年11月22日) 2017年11月22日(現地時間)サンフランシスコ市長室は市長が決議に署名したことを明らかにした。この決議は市議会が満場一致で「慰安婦」記念碑を公式に市有財産にするものだ。 ジュリアン・タンCWJC共同議長――「安倍の慰安婦の歴史の否定と捏造は打ち破られた。安倍らは、真実を白状し、全世界の犠牲者に誠実で法的な謝罪を行わねばならない。サンフランシスコ市長も市議会も市民も、性暴力からすべての女性を守るに際して、日本政府の圧力に屈しなかったことは特筆すべきだ」と述べた。 リリアン・シンCWJC共同議長――「大阪を始め日本から『慰安婦』記念碑を支持する手紙が数百通もCWJCに寄せられた。日本の虚偽の指導者たちは5億㌦の宣伝予算を使って彼らの嘘を信じ込ませようとしているけれども、日本人民はそれに同意していない。彼らが真実を否定し、抑圧しようとすればするほど、運動はさらに拡大する」 フィリス・キムCWJC執行委員*――「日本政府は全世界の前で、歴史修正主義の立場を自ら白日の下にさらした。しかし、歴史否定は全世界の人民の意識をさらに高めるだけだ。この重要な真実を伝えつづけることの重要性が認識され、もっと多くの記念碑が世界中に立てられるであろう」 *2013年にグレンデール市で少女像設立を実現した運動の中心的活動家 慰安婦正義連盟(CWJC)は、サンフランシスコ湾岸地域のさまざまなコミュニティー組織と個人の連合体である。サンフランシスコで「慰安婦」を記念し、第二次大戦中に日本が植民地侵略戦争を行った時の日本軍性奴隷制度と人身売買制度について公衆を教育するために、15年8月に結成された。その目的は、歴史を記憶し続け、被害者に正義をもたらし、全世界で女性に対する性暴力を根絶することである。2017年9月22日、CWJCはセント・メリー公園拡張地で「慰安婦」に捧げる記念碑の除幕式を行った。■1月8日の韓国外相の12・28「合意」についての発表の直後、フィリス・キムさんはKAFCのfacebookで次のように表明しています。 「韓国政府は再交渉を求めない。しかし、韓国政府が予算措置をとって基金を作るということは、合意の破綻を象徴している。それは合意そのものの欠陥によって破綻したのだ。 また韓国政府は、彼女たちの名誉と尊厳の回復の努力などの犠牲者の支援を続けることを明らかにした。 この声明に対して、日本の河野外相はすぐさま「日本は合意が履行されないことは決して受け入れない」と語った。 これらはすべて、「慰安婦」問題が日本政府・韓国政府の二国間では決して解決されない問題であることを証明している。というより、普遍的な人権問題として、国際的基準にのっとってのみ、解決しうることを明らかにしているのである。 ハルモニたちが国際基準にのっとって要求していることは次の7点である。1.軍性奴隷制度が存在したことを日本が認めること2.この犯罪について包括的に調査すること3.閣議決定による正式な謝罪をすること4.すべての犠牲者に政府が補償すること5.犯罪者を訴追すること6.日本の歴史及び教科書において、その教育を継続すること7.記念碑及び博物館を、犠牲者を記憶し、また歴史を保存するために建設すること 日本の歴史修正への強力な意思、強力な外交力、天文学的な予算に対して闘う唯一の道は、われわれがもっと多くの記念碑を設置し、この歴史をわれわれの教科書に入れ、公衆を教育し歴史を記憶するための集会・展示会などを開催するということである。ともに活動していけば、われわれは変革をかちとれる!!! ハルモニの大義と私たちの娘たちのために、よりよい世界の実現への変わらぬ支持に感謝します」コラム アメリカ下院決議 2007年7月のアメリカ下院決議121号は特に重要だ。「日本の最重要の同盟国」で、議員の誰一人安倍に味方せず、満場一致で「日本政府が公式に帝国軍の責任を認め、性奴隷制度(慰安婦制度)を強制された女性たちに謝罪すること」を始めとする決議が可決されたのだ。これは、日系アメリカ人社会も含めて韓国系・中国系・フィリピン系など多くの人々が、出自の違いを乗り越えて団結して全米各地で地道に、小集会・講演・署名活動などを積み重ねてきた成果だ。日本軍のインドネシア占領中に軍隊慰安婦にされたオランダ人女性(後にオートストラリアに移住)も、下院で証言している。世界に先駆けて、オランダ議会、オーストラリア議会は、米議会同様の決議をあげている。

第6号(P.1~2)「日韓合意」うち砕く民衆の闘い

戦争狙う安倍政権を直撃!「日韓合意」うち砕く民衆の闘い 昨年12月、韓国・ムンジェイン政権は、日本軍軍隊慰安婦問題をめぐる2015年12月28日の「日韓合意」によっては「問題は解決できない」と表明。1月4日には、合意が「真実と正義の原則に外れる」ものであると認め、慰安婦被害者のハルモニ(おばあさん)たちに謝罪を行いました。 これはまさしく「合意の根本を否定」(1月10日付『産経新聞』)するものであり、真実を明らかにするために闘い続けてきたハルモニたち、そして二度と戦争を繰り返させないために闘う全世界の労働者民衆の力でかちとった大きな前進です。◇ パククネ政権と安倍政権は15年当時、被害者たちに一言もなく密室で「日韓合意」を強行しました。これは、日本帝国主義による国家的戦争犯罪である日本軍軍隊慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的」解決をうたった異様なものでした。その目的は、軍部―国の責任をあいまいにし、この問題を「終わったこと」にして新たな戦争への道を掃き清めることにありました。そのために安倍は、軍隊慰安婦とされた人びとをモチーフとして建てられた「少女像」の撤去まで要求したのです。 この傲慢で誠実さのかけらもない「合意」は、腐敗をきわめ労働者を弾圧するパククネ政権への怒りの炎に油を注ぎ、これまでの歴史を根本から問い「積弊清算」を求める韓国労働者民衆の闘い=ろうそく革命を切り開く重要な水路となりました。 日本軍軍隊慰安婦問題は、私たち自身の生き方にかかわる問題です。それが戦場であれ職場であれ、一握りの支配者のために労働者民衆が踏みにじられる社会のあり方は、今に至るまで本質的に変わっていません。この現実をひっくり返すことこそ、命がけで立ち上がったハルモニたちの思いを受けとめる道です。韓国において、青年・学生たちが「合意」に怒りを燃やして立ち上がっているのもそのためではないでしょうか。◇ その上で、闘いはここからが正念場です。安倍は1月24日の衆院本会議で、2月9日に韓国で開幕する平昌オリンピックへの参加を表明するとともに、日韓合意をめぐってムンジェインに対して「日本政府の考え方を明確に伝え、韓国側に約束を誠実に履行していくよう働きかける」と述べました。同時に「北朝鮮への圧力を最大限まで高めていく方針からぶれてはならないことを直接伝えたい」と述べているように、これ自体が新たな戦争に向けた動きそのものです。 また一方で、ムンジェインが大統領選への出馬に際して公約した「合意の撤回」ではなく「日本政府の自発的な真の謝罪」を要求してお茶を濁したことも、決して許すことができません。 少女像の設置が「侮辱行為」だとわめき、歴史を直視することすらできない日本政府や安倍の取り巻きたちに未来はありません。未来は、歴史を直視し乗り越え、支配者たちの引いた国境線を越えてつながり闘う労働者民衆にこそあります。 「日韓合意」は撤回以外にありません。全世界に広がる闘いとの結びつきを強め、日本においてこそ、大きなうねりをつくりだしていきましょう。2018年1月12日付挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)声明より■「『歴史を抹消して再び戦争をしたい』と考えている日本政府の立場からすると、10億円で日本軍の戦争犯罪に対する免罪符を手にし、少女像も撤去し、『性奴隷』という表現も用いないと約束した2015年の韓日合意は、必ず守られなければならない、命綱に等しい合意だということだ」■「日本の安倍総理が『国際的で普遍的な原則であり約束』であるとして固執する政治的野合の結果は、生命倫理、正義と真実、人権と平和などの『人類の普遍的な価値』よりも優先されるものではない」■「(軍隊慰安婦制度の)犯罪認定、公式謝罪、法的賠償、慰霊碑と資料館の建立、責任者処罰、歴史教科書への正しい記述と教育、真相究明、再発防止の約束など、被害者と世界の市民たちが求める『法的責任手続き』をまたはじめから誠実に履行していかなければならない」「日韓合意」をめぐる関連年表1965年6月 日韓条約締結1990年韓国で「挺身隊問題対策協議会」発足 1991年8月14日 金学順(キムハクスン)さん、「慰安婦」被害者として名乗り出る 12月 金学順さんら、補償請求訴訟 1992年1月 ソウルの日本大使館前で第1回水曜デモ1993年8月 「河野談話」発表 1995年8月 「村山談話」 発表1997年4月 中学校の歴史教科書のすべてに「慰安婦」が記述される 1999年周辺事態法成立 2003年 有事関連三法、イラク復興支援特別措置法成立2005年 中学校の歴史教科書から「慰安婦」が削除される 2007年7月 アメリカ下院本議会で日本政府への謝罪要求を決議 2011年12月14日 水曜デモ1000回を記念し、ソウルの日本大使館前に「平和の碑」(いわゆる「少女像」)建立2013年7月 米グレンデールに慰安婦像建立2015年12月28日 「日韓合意」2016年12月28日 釜山の日本総領事館前に少女像建立2017年1~4月 釜山での少女像建立に抗議し、駐韓大使ら一時帰国8月15日 韓国・釜山に強制徴用工像建立9月22日 米サンフランシスコに慰安婦像建立

第5号(P.6~7)翻訳資料 どんな核攻撃なら適法なのか?

【6~7】ページ翻訳資料 どんな核攻撃なら適法なのか?ジョン・ラフォージュ (2017年12月7日付『カウンターパンチ』) アメリカ戦略軍の司令官が「違法な核攻撃命令は拒否する」と発言したことを、マスコミは好意的に報道しています。一方で、こうした報道は核攻撃を「普通のこと」にしてしまうものだという批判があります。ここでは、アメリカ・ウィスコンシン州の反戦・反核・反原発団体「ニューク・ウォッチ」の活動家であるジョン・ラフォージュ氏の論説から抜粋して翻訳・掲載します。米軍大将、核兵器発射の命令が違法なら拒否できると発言(シカゴ・トリビューン、11月18日)米核司令官、「違法」な命令に躊躇(MSNBC、11月18日)戦略軍のトップの大将、違法な核発射命令は拒否できると発言最高幹部の米大将、トランプの違法な核攻撃命令に抵抗しうると発言(インディペンデント、11月18日) 上記の大見出しはすべて、核攻撃は状況によっては適法だという印象を与える。そんなことがありうるのか。大統領の核兵器についての理解は愚かだと国務長官は述べ、2人の大将も、トランプの核攻撃命令が違法なら命令に従わないと宣言した。だが、どんな種類の核攻撃なら適法なのか。 11月18日、戦略軍司令官・空軍大将ジョン・ハイテンは国際安全保障フォーラムで、「もしも命令が違法だと判断されれば大統領の核兵器発射命令を拒否しうる」と発言した。その4日前には、ハイテンの前任者、ロバート・ケーラー退役大将は上院外交委員会で「(核戦争の司令官は)核攻撃をせよという大統領のいかなる違法な命令も無視できる」と証言した。 両大将は公的な場で前例がない発言をし、「軍事的必要性」「選別破壊」「均衡」という法的原則が核攻撃においても適用されると述べた。 だがこれは、あたかも通常の爆弾であるかのように核兵器を語り、それを「通常化」することなのだ。 軍人が違法な命令を拒否「できる」という言い方がおかしい。米軍のマニュアルには「軍要員は違法な命令を拒否せねばならない」と明確に書いてある。入隊者は全員「違法な命令への不服従は義務であり、違法命令への服従は犯罪として軍法会議にかけられる」と教えられる。○ある種の兵器は、常に違法 さらに重大なことは、核戦争がこのように公然と話されていることだ。驚くべき無知だ。そもそも、あらゆる核兵器使用は無差別攻撃であり、違法に決まっている。核兵器の軍事的効果が悪影響より多く「均衡がとれた」使用が可能だと考えることができる者は、ずぶの素人、または知らんぷりをしている者だけだ。核兵器の影響が制御も制約も計測も不可能な巨大さであることは、無数の教科書や法律誌、政府研究、民間研究の中で確立されてきた事実だ。 核兵器のいかなる使用も違法だ。国際条約も議定書も協定も交戦規則も無差別破壊を禁じている。また軍事目標に対して不均衡な攻撃、「背信的に殺傷する」兵器、または中立国に危害を与えあるいは環境に長期的被害を与える兵器を禁じている。 チャールズ・モクスリーの『核兵器と国際法』は、条約上の義務を列挙した上で次のように述べている。「核兵器が違法であるのは、本書が網羅した戦争諸法規への違反だけではない。核兵器は戦争の目的であるべき『紛争の解決』をもたらさずに広範で無差別な破壊をするから違法なのだ。……核兵器は兵器ではなく、みだりな破壊のためだけの装置でしかない」○物理的影響――「完全な廃墟」 軍と議会の幹部は通常兵器と核兵器の途方もない相違が分かっていない。数十万の民間人の殺害――戦争犯罪を犯すこと――なしに核兵器は使用できないことが理解できない。というより、国民がそれを見ないように仕向けている。 モクスリーの『核兵器と国際法』は「核爆発で発生する熱は一億度に達するのに対して、ダイナマイトは約300度だ」と指摘している。この想像を絶する熱は、リン・イーデンの2004年の著作『全世界の大火』で「核兵器はどこで爆発しても、巨大な火災とそれによる膨大な被害が発生する。巨大火災による被害は、爆風被害の2倍から5倍になる」と説明されている。 連邦緊急事態管理局が1977年に発行した『核兵器の影響』は事態を軽視させようとしているが、この本でさえ「爆心地近くの建物やトンネル内の人間は、浸入してくる高温のガスや粉塵によって焼かれうる」と述べている。同書の放射線の影響についての論及は、ABCC(原爆傷害調査委員会)からの引用だが、「遺伝的影響の他に白内障・非特異性寿命短縮・白血病や他の悪性疾病・胎内被曝児の発育遅延がある」と述べている。「核実験でも核戦争でも、長い年月がたっても傷害と殺害が続く」のだ。 イーデンが説明しているように、大火災の「火災嵐」は「広大な地域にわたって多数の火災が同時に発生し、膨大な量の空気が熱せられ、上昇し、ハリケーンの速度で周囲の空気を吸いこむ」。「爆発後10分以内に、この莫大な量の空気の上昇が、巨大な規模と速度で大火災を拡大する。1時間もたたずに広大な地域で地上平均温度が水の沸点をはるかに超え、ハリケーン級の風が吹き荒れ、致命的な環境をつくりだす」 「史上最初の大火災は1943年7月27日から28日にかけての夜、連合軍のハンブルク焼夷爆撃で起こされた。20分以内に11・7平方㌔の地域内の3分の2の建物が火事になった。この火事で13平方㌔の地域が完全に焼け落ちた。ハリケーン級の風が吹いたことが証言と記録で明らかになっている。空気の温度は摂氏200~260度と計算されている。この攻撃で10万人が殺された。近代的核兵器による大火災は、はるかに広大な地域を短時間で焼き尽くすだろう」 米軍は単に核攻撃命令に従わないだけでなく、この違法な扇動を拒否せねばならない。

第5号(P.5~6)訪韓行動でサムチョクとの交流と連帯深める

訪韓行動でサムチョクとの交流と連帯深める群馬合同労組 執行委員長 清水彰二 2017年11月11日から13日まで、群馬合同労組は私を含めて3名で、動労千葉訪韓団の一員として訪韓闘争に参加した。私と須永副委員長は、2015年、2016年に続いて3回目。2017年6月に加入した青年がはじめて参加した。 須永副委員長は、5年前から韓国語の学習に力を入れ、3カ月の語学留学はじめ何度となく韓国へ通ってきた。とりわけ古い友人であるMさんに誘われて、2016年サムチョク(三陟)市の脱原発運動との交流の旅に同行した。 サムチョク市は人口7万人、韓国の江原道にある東海岸の海辺の町。1982年に原発建設計画が持ち上がるが1998年に白紙撤回させた。ところが2010年に再び原発の建設計画がおこり、これに2014年市長選挙と住民投票で勝利して、ついに原発計画の白紙撤回を勝ちとった。サムチョク郵便局前で行われてきた水曜日集会、巡礼行進など、老若男女さまざまな市民が力をあわせて闘ってきた。現在は火力発電所建設計画が持ち上がり、これとの闘いをすすめている。 須永副委員長のサムチョク訪問以降、2012年8月から毎週欠かさず行ってきた高崎金曜日行動と、サムチョクの原発反対運動との交流がはじまった。フェイスブックを通じた交流はリアルタイムでお互いの連帯を深めた。韓国・サムチョクの闘いの重要な節目には、高崎金曜日行動や群馬合同労組のデモなどでハングルでメッセージを発信して、連帯を表明してきた。逆にサムチョクから群馬・高崎に連帯行動が組織され、メッセージや激励が送られてきた。2017年6月に仲間が金曜日行動参加中に脳出血で倒れ、必死で闘病リハビリに取り組んでいることに対して、心暖まる激励が組織された。お互いの交流が、温もりのある、顔の見える交流に深まっていった。 今回の訪韓闘争で、サムチョクの仲間は、須永副委員長を通じて、群馬の訪韓団に対して、いたれりつくせりの受け入れ態勢を取ってくれた。宿の手配から、空港への出迎え、滞在期間の食事から、全過程を通じて、行動をともにしてくれた。忙しい中、バスでソウルまで5時間もかかるサムチョクから、たった数時間の交流のために、わざわざ会いに来てくれた仲間がいた。 今回の訪韓で、とても重要だったことは、サムチョクの労働者との具体的な交流が実現できたことである。サムチョクの原発反対運動は、宗教者を中心にして、労働者も農民も市民も、老若男女がひとつになって闘ってきた。その中で、労働者はやはり重要な役割を果たしていることがわかる。サムチョクの仲間は、とりわけても訪韓した群馬合同労組の仲間にサムチョクの労働者を引き合わせたいと、今回の受入体制を取ってくれたのである。 特に、その中に2016年11月14日に動労千葉訪韓団として籠城中のテントに表敬訪問したサンピョセメントの労働者がいる(群馬の訪韓団は先に帰国して不参加)。民主労総江原嶺東地域労組東洋セメント支部の下請け労働者たちは、石灰石を採掘し、セメント生産業務を担っていたが、賃金は元請けの約40%。2014年5月に下請け会社に初の労組を結成し、翌年2月、雇用労働部が東洋セメントの偽装請負を認定、元請け正規職として雇用するよう決定した。その直後、東洋セメントは労組解体を目的に下請け会社との契約を解除し、下請け労働者101人を解雇した。以来、弾圧に屈せず、組合員23人が闘ってきた。非正規職撤廃とさけび、27日間の断食高空ろう城闘争、935日の闘争を闘い抜いて勝利、ついに正規職としてサムチョクの職場に戻るという。まさに復職のための研修期間中に今回の交流を実現できた。文字通り韓国の非正規職撤廃闘争の重要な闘いである。 他にもサムチョクの労働者を次々と紹介してもらった。サムチョクの水曜日行動の写真を見て、ここに私がいますといった具合だった。 11月12日の午前中、午後からの民主労総の大会を前に、サムチョクの仲間の案内でソデムン(西大門)刑務所を見学した。西大門(ソデムン)刑務所は、日本の植民地にされた朝鮮で、日本の植民地支配に抵抗した人々を拷問し、死刑にした極悪の刑務所。戦後はアメリカかいらいの軍事独裁政権に反対し、平和と民族統一、民主主義をのぞんだ人々を、やはりスパイにでっち上げて、拷問し、処刑した場所。それが今は博物館となって、子ども連れがたくさん見学に来ていた。私たちは、案内してくれたサムチョクの仲間からこんな話を聞いた。お連れ合いがパクチョンヒ大統領の時代にスパイにでっちあげられ、10年間の刑務所生活を余儀なくされたこと、その後再審で無罪を勝ちとり、今も政治犯の救援運動をされていること、義父はこの西大門(ソデムン)刑務所で殺されたこと…。私たちは、このサムチョクの仲間とともに慰霊塔で祈りを捧げることができた。 私たちの祈りはもちろん日本人としての謝罪ではあるが、それは贖罪ではなく、力をあわせてプロレタリア世界革命をともに実現し、戦争も核も必ずやなくしてみせるという決意である。