第20号(P.6)日帝は中国で何をしたか 再びの戦争を絶対許すな!

大勝利をかちとった杉並区議選を前に中国の学生から全学連に寄せられた手紙の要旨を紹介します。(事務局)

 3月、石炭の一大採掘地である中国東北部の遼寧省阜新市を訪れました。タクシーの車窓から道標を目にし、「炭鉱労働者万人坑」を訪れることにしました。

 1933年4月8日、日本軍は阜新市を占領します。ここから阜新の人民に対する、12年にも及ぶ残酷な搾取が始まりました。

 36年10月1日、日本軍は阜新市で「満炭阜新礦所」を設立。阜新の鉱山資源の全面的な略奪を宣言しました。

 日本の侵略者が採用した野蛮な「人肉採掘」は、労働時間を延長し、採鉱労働者の居住・生活条件を引き下げ、そして安全措置を一切とらないというものでした。

 残酷な環境下で、多くの無辜(むこ)の労働者たちが過労や事故で命を落としました。中でも孫家湾という場所だけで7万人もの死んだ労働者が埋葬され、これは「万人坑」と呼ばれています。

 しかし、圧迫が大きいほど反抗も激しくなります。侵略者の虐待に耐えかねた阜新の炭鉱労働者たちはサボタージュや工具の破壊、ストライキ、暴動などの偉大な闘争を不屈に展開しました。

 ●炭鉱の占領

 自国の炭鉱業を発展させ、日本帝の経済侵略を食い止めるため、張学良は24年に多額の投資を行って孫家湾で炭鉱を設立しました。31年の柳条湖事件の後、日本はこの鉱炭会社を「逆鉱」(日帝に逆らう炭鉱)として強制的な買収や没収を強行し、大規模な探索・調査・開発を行いました。こうして、阜新のすべての炭鉱が日本の侵略者に占領されたのです。

 ●労働者の強制徴用

 阜新の炭鉱労働者のほとんどが、当時日本帝国主義が「満州国」をでっち上げて支配下においていた中国東北部の出身でした。40年だけで錦州市から約9万人が徴用されました。それ以外に、河北・山東・河南・内モンゴルなどの労働者もいました。徴用は、だましたり強制したりする下劣なやり方で行われました。36年から45年の間に、約50万人の労働者が阜新に送られました。

 ●非人間的な待遇

 日本帝国主義の侵略下で、阜新の炭鉱労働者は非人間的な待遇を耐え忍びました。彼らは低くてじめじめした飯場に住み、服は乱れて破れ、骨と皮ばかりにやせこけていました。日本人と炭鉱労働者のボスに強制され、極度に危険な重労働に1日14時間以上も従事していたのです。

 ほかにもさまざまな事件がありましたが、紙幅に限りがあり、ここで列挙することはできません。

 これらの衝撃的な陳列品を見学した後、私は第4展示館に立って長い間考え込みました。そこに張り出された日本の人々の平和学習の旅の写真を見て、思いは千々に乱れます。しかし、「全世界の人民が団結し、戦争を消滅させ、搾取を消滅させる」という考えしか浮かびません。

 日本人民が帝国主義と侵略戦争に反対していることを知り、心から応援したいです。中国でも同じく侵略に反対し、反動的な政府に反対して行動しています。

 4月21日の選挙で大勝し、安倍政権を倒し、天皇制を消滅させることを心からお祈りします。

写真は上から 

 (上)展示室のタイトル

 (下)中国遼寧省と阜新市の位置

国際連帯共同行動研究所

新たな労働者の「インターナショナル」の建設を目指す研究所です。